レフェリーとルールと芸術と。

はいどうも、管理人です。
今回はサザエさんよろしく三本仕立ての雑記です。久しぶりに長い、長いぜぇ。

その1:レフェリー

先日コラムにあった通り世界のMr.青木に誘われ、『レフェリーワークショップ2011』に行ってまいりました。

レフェリーワークショップ2011

「レフェリー資格持ってない&レフェリーやらないアンタがそんなの行ってどうすんの?」と思ったそこのあなた。ウルサイダマレ。あ、いや失敬。
たとえ資格を持っていなくとも、レフェリーをやることがなくとも、レフェリーの目線・考え方を知っておくだけで、サッカーに対する目線・考え方の幅が広がって、それはそれは自分の為になるんですよ。何よりもっとサッカーが面白くなる。これだね、うん、これに尽きる。

で、ゲストコメンテーターはキリンカップに招かれたイングランドのレフェリー団。

ハワード・ウェブ氏(2010W杯決勝&2010CL決勝 主審)

ウェブ氏

マーティン・アトキンソン氏(2011 FA杯決勝 主審)

アトキンソン氏

ダレン・カン氏(2010W杯決勝 副審)
※すんません写真ありません><

マイケル・ムラーキー氏(2010W杯決勝 副審)
※すんません写真ありません><

加えて日本から

西村雄一氏(2010W杯決勝 第4審)

西村さん

相楽亨氏(2010W杯決勝 第5審)
※すんません写真ありません><

ウェブ&カン&ムラーキーの3人は映画『レフェリー』に出てきた方々なので、なんとなく親しみが。ていうかウェブなんてもうプレミアでしょっちゅう見てますからね。親しみどころじゃない。やっべww生ウェブだwwでけぇwwwという感じで大興奮でした。
で、色々と為になる話を聞けて大満足。どんな話が聞けたか教えてほしくば直接オレんとこに来い!て感じでよろしく。
こんなおもろいイベントに誘ってくれた世界のMr.青木に感謝。

ちなみに。。。

当日MCをしていた中村義昭氏(スカパーで実況とかしてます)のブログになんと世界のMr.青木が堂々と載っちゃってました。

中村義昭オフィシャルブログ レフェリー・ワークショップ2011
(写真二枚目中央)

さすが、さすがですMr.青木。

その2:ルール

打って変わって真面目な話。
先日のリーグ戦、とあるプレーにレッドカードが提示されました。

オフサイドラインを抜け出し、FWの選手がGKの頭上を越すループシュートを放ったのですが、それをGKが手を使ってブロックし、CKに逃れたのです。
と、これだけだと何の問題もありません。問題はGKが手を使った位置。そう、ペナルティエリア外で手を“使った”のです。

決定的チャンスの阻止、ということでルール的にはレッドカード。数年前のチャンピオンズリーグ決勝、バルセロナvsアーセナルでアーセナルのGKレーマンが同じようにペナルティエリア外で手を使い、退場になったシーンがあると思いますが、あのような感じですね。ただ今回のシーンはあれ以上に決定的でした。

ここでボクが言いたいのは、判定の是非ではありません。あの判定に是非はないのです。ルールですから。
では何か、、、というと、おそらくは少年サッカーに関わる多くの方々――親であり指導者――が持っているであろう『少年サッカー(子供のサッカー)なんだから』という思い。

少年サッカーなんだからそんなに厳しくしなくてもいいだろう、少年サッカーなんだからレッドカードなんてかわいそうだ、etcetc…

果たしてそうでしょうか?“少年”という理由でサッカーのルールを変えてしまっていいのでしょうか?
サッカーに“少年”も“大人”も関係ありません。“男”も“女”も。“年齢”も“経験”も。フィールドに立った時点――正しくはフィールドに立つ前からですが――で、誰もが同じルールの下でサッカーをしています。

ウェブ氏は言いました。
『レフェリーという存在は、少年サッカーでは“レフェリー”であると共に“ティーチャー”であり“モチベーター”でなければならない。』

少年サッカーだからカードは出さないという行為。一見優しそうな行為に見えますが、実のところ『今のプレーはカードの対象になるんだよ。今後気を付けてね。』という“教えること”を放棄する行為であると思います。
ですから明かな判定ミスであるならばともかく、ルール通りレッド(イエロー)カードが出された場合、その判定に文句を言うことは間違っている。。。とボクは思うのです。
(まぁ判定ミスでも文句は言っちゃいけませんけどね。リスペクトしなきゃいかんです。)

百歩譲ってギャラリー、親あるいは家族がレフェリーに文句をいうのならまだ理解できます、が、ベンチに座っている指導者がそうするのはどうもおかしい。レフェリーに文句を言う前にやるべきことがあるだろう、と。
どういうプレーがカードの対象になるのか、ということを教えるのは指導者の役目ですから、それを怠っていなければ子供達はそういうプレーはしないはずです。あるいはしたとしてもそれはカードを覚悟の上でのプレーなはずです。

もしもボクがチームを率いていて、ルールに関する指導を怠っていたら、おそらく子供には『ああいうプレーがカードの対象になるってことを教えてなかったオレが悪い。全部オレのミスだからキミはまったく気にしなくていい。申し訳ない。』と言うでしょうし、ちゃんと教えていたとしたら『自分で選んだプレーなんだから仕方ない。キミがそのプレーをしなきゃいけなくなった理由を考えて、次に同じプレーをしないでいいように良いアイデアを考えなさい。』なんてことを言うと思います。ちょいと分かりづらいかな。

もちろんどんな理由であれ、子供の心には『カードをもらってしまった』という事実が強く残ってしまうでしょう。
とはいえ、『カードを出したせいで子供の心が傷ついた、どうしてくれるんだ!』なんていう人はキッパリいいますが、少年サッカーの指導者には向いていません。
トラップ、ドリブル、シュートを教えることだけが指導者の役目ではありませんから。

今回はカードに関わる話でしたが、他にも細かく言えば多々あります。
ボール保持している選手が相手との接触で倒れた時、『ファールだろ!』なんてことをいう前に、多少の接触で倒れないよう子供に指導するべきだし、逆に明らかなファールを受けたときも審判に何かを言う前に『ナイスキープ!』『ナイスドリブル!』と選手のプレーをたたえるべき、だと思うのです。

『少年サッカーだから』という話から『審判への文句』『指導者の在り方』に話がズレちゃいましたね、スミマセン。
でもこれらの関係性はなかなか高いと思いますがどうでしょう。

他のチームはともかく、少なくとも開二FCに関わる人たちにはぜひともご理解頂きたいと思っております。はい。

あ、ちなみに当日カードが出されたとき、審判への文句・侮辱は一切なかったと記憶しております。
ざわざわ・・・っとしたのは確かですがw

その3:芸術

サッカーの世界ではしばしば『芸術的な~』という言葉が使われています。
中にはとある芸術家の名前が選手のニックネームになっていたりもします。(デルピエロ=ピントゥリッキオとか)
つまりサッカーと芸術は切っても切れない関係であり、サッカー選手であるならば誰しもが何かしらの芸術的センスをもっているであろうと思うのです。

先週、ちょうど1週間前、前期リーグ第2節終了後にその日の収穫と今度の課題を皆で挙げていこうと反省会のようなものが桜台某所で行われました。
個々のスキルを上げるべきだとか、大事なところで大きな声が出ていたとか、皆思い思い語っている最中、ひとりの芸術家がおもむろアップルパイの箱を手にし何かを作り始めた。

彼の名は

偉大なる芸術家、篠崎草太

彼のドリブルはまさに芸術的。
ボクが今まで見てきた開二FCの選手の中で、間違いなく歴代No.1ドリブラーだ。
彼が小学6年生のとき、ボクは『練馬区で彼が1対1で抜けない選手などいない』と公言した。今でもあの発言は間違いではなかったと思っている。
未だ彼を超えるドリブラーは開二FCに現れていない。

そんな“芸術的ドリブル”を魅せてくれた彼が動き出した。
しかし今回は足ではない、手だ。手を使っているのだ。

一体何を、何を作り上げてくれるのだろうか。

そ~ちゃんが何かを制作中。。。その1

いったい・・・

そ~ちゃんが何かを制作中。。。その2

なにを・・・

そ~ちゃんが何かを制作中。。。その3

つくって・・・

なにこれ。

何これ。

出来上がったのは謎のアップルマン。
小学1年生が作ったような出来栄えのアップルマン。

いやもしかしたら小学1年生の方がもっと良いものを作るんじゃないか

そんなアップルマンを彼は捨てずに大事に持ち帰った。

なにこれ。

ていうかまじなんだこれ。

どうやら芸術とサッカーってあんまり関係なかったみたいです。

今回の雑記はここまで。
アップルマンが欲しい人は草太コーチにねだればもらえるかもしれません。

でわまた次回

ヽ(´ー`)ノ

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